日本の食文化探訪 卵からつくられる驚異の健康食 卵油

野本方子・野本二士夫により掘り起こされた卵油

 1975年(昭和50年)の秋、野本方子は静岡県田方郡韮山(現伊豆の国市韮山)の地において、卵油を抽出することに成功した。
  きっかけは簡単なことだった。夫である野本二士夫に不整脈があること、それを原因として体力が日々落ちていくのを目にしていたこと、なんとか元気を回復させたいと考えたことからだった。

 今から40年もの昔、健康食品という言葉すらあまり人々の口にのぼることは少なかったが、家庭に於ける実際的看護の秘訣という大正年間に発刊された本を座右に置いていたことが“卵油”に目を向けさせることに。
  鉄鍋に卵の黄身を入れ、弱い火にかけて炒り上げていくことで抽出できるということは近くのお年寄りから聞いた。卵黄をただ炒り上げるだけなら簡単だろうと考えたのが間違いのもと。なかなか抽出できない。真っ黒になり炭のようになってそれだけである。試行錯誤と失敗の連続の中からやっと卵油がにじみ出るようになってきたのは、秋も深まり、韮山の地の山々が紅葉に染まる頃だった。初めて挑戦してから半年が過ぎていた。
 そして、この卵油をスプーンにすくい飲ませてみると、野本二士夫の顔にみるみる生気が蘇ってきた。不整脈が消えたのは、それから間もなくのことであった。
 (二人は考えた。)こんなに良いもの、すごいものなのにあまり知られていない、そんなものがあるということすら知らない人が多いと気がついた野本二士夫は、卵油のつくり方を教える全国行脚をしてみようと考えた。これが“手づくり自然食友の会”の始まりであり、その後展開する『卵油つくり方教室』の母体となる。


卵油のことを知る人は、ほとんどいなかった

 昭和50年の頃、卵油のことを知っていると答える人はとても少なかった。それは、卵油のつくり方だけが伝わってきたという特殊なものであったからだろう。
  野本方子が読んでいた“家庭に於ける実際的看護の秘訣”は築田多吉という海軍の看護兵だった人によって大正14年2月に発刊された本だ。この野本方子の生まれる5ヶ月前、ほとんど自分の生まれた年に発刊された本に野本方子は何か感じるものがあった。
ここに家庭に於ける実際的看護の秘訣から卵油の事を取り上げた個所を抜粋してみよう。

寿45頁・心臓病に偉大の効果のある卵の油
この事に付ては警第二六頁、警第五四頁、二七五頁に詳しく書いてあるから、茲には書きませんが、心臓病にはこれ程よく効く薬は他にないと思う程偉大な効果があるから、前記の所にも製法も書いてあるから、重大な心臓病のある人は是非飲んで御覧なさい。其効果に驚きます。
警26頁・心臓病に對する警告
心臓病には色々な種類があって素人には判らないから醫者の指示を受けずに薬を飲むことは禁物であります。だが六二○頁に書いてある卵の油を造って茶匙一杯づつ一日二回飲むととても不思議な効果を現はし危篤になった時でもビタカン以上の効果を見た例があります。或る病院で醫者が手を離した心臓病が此の油を飲んでキレイに治った為めに病院では不思議がり家人から病院に内々で卵の油を飲ませたことを聞いて二六七頁の卵の油の製法や二七○頁の心臓病の記事を書取ったと報告してきた人があります。
  心臓病には仲々重大な病気もあるが脈の結代や不整脈、心悸亢進等で一時性に脈が速くなったり、止まったり飛んだりして来るような時にはこの卵の油で治った人が多いのだから試みて御覧なさい、一切無害です。私は長い間不整脈があって時々結代して気持ちが悪かったのだが、之は心配のない症状ではあるけれども卵の油を飲んだら、どの位の効果を奏するかと云う成績を確かめて此の本に書きたいと考えて前記の卵の油を三日間飲んだら一切の症状が無くなって完全に治ってしまった。
  尚卵の油のことに就いては下記警第五四頁も見て下さい。
  警第五四頁以降五六頁には卵油の臨牀実験とする記述がある。
本編275頁・心臓に卓効ある卵油
卵の油は其病人に適量(一回0,五乃至一,五瓦)を膠嚢(カプセル)に入れ毎日三回食後に服用して最も有効です。何かの病氣で心臓が弱り、ひどく「どうき」がして足がはれたり道を歩くにも困る様な病人には即座に利き一、二日の内にずんずん元氣が恢復して来るのは奇妙です。此卵の油は慢性の心臓病や心悸亢進にのみ有効で死期が近づいて心臓が衰弱して注射する様になつては、此卵の油を飲んでも利かないものと思ふて居りましたが、之は大きな考へ違いであつたので、重症になつても續けて服用して居ると心臓の衰弱を防ぎ、重症に近づいてとても有効な事が分つたのであります。殊に此の油は藥ではなくて卵の精分であるから、更に副作用が無く滋養にもなり素人の強心剤としては得難い家庭薬であります。心臓病には素人が薬を飲む事が出来ないのでありますが、卵の油は飲んでも少しも差し支ないのであります。此卵の油は自分で作つて一回二十滴づゝ一日三回食後に飲んでよろし。
心臓衰弱の治った實驗例
平素餘程元気な老人(七二歳)が何の病氣か、心臓が非常に弱って、脈が四つか五つで結代する、而も此人は中々の頑固で「俺は死ぬるのだ藥は飲まぬ」と云ひ、唯水を少しづゝ飲むばかりで食物、藥品一切やらない、そこで家人が無理やりに勸めて、漸く卵油だけ飲む事を承諾させ、二日程飲ませたら脈が二十か三十位續く様になり段々元氣づいて、食事をする様になり爾来十日ばかり續いて服用したら、全治したので「俺は藥を飲まんので能く分かる、全く貴公の厚意で卵油で助かつたワイ、之では當分死なれん」と云うて又元の元氣で働き出しました。



実績の中で裏づけされた卵油の歴史

 卵油がどのようにして今日まで伝わってきたかというのは定かではない。卵油の事を知っていた人、つくったことがあるという人に聞いてみると「母からつくり方を聞きました。母はおばあちゃんからつくり方を教わったと聞いている」と云う人が多い。
  つまり、その家に昔から伝わる秘伝の健康法として病気後や体力が失われている時につくられ語り継がれてきたということではないだろうか。それは、西洋医学も入ってきていない頃、その知識も少ない頃に健康を願う人々の純粋な気持ちの中から生み出された知恵と考えてもいいかも知れない。
  この昔から伝わった優れた健康食である卵油に脚光が当てられたのが大正時代に発行された本“家庭に於ける実際的看護の秘訣”。そこには『この油の製法は黄身が焼ける迄炒ると油が出ます。混ぜ物のある製品は効きません。この薬は内服すれば心臓の妙薬で、如何なる心臓病でも著明の効果があり、少しも危険なものではないから、心臓の悪い人は是非作って飲んで御覧なさい。動悸や息切れ、結代脈などは2、3日できれいに治ります』と記載されていた。


『卵油とはなんですか?』と聞く人も多い

 卵油は、昔からつくり方だけが伝わってきた日本独自の健康食と云ってもいいのかも知れない。
 卵の黄身だけを時間をかけて炒り上げることで、そこから出てくるエキス・脂分である。健康の維持や病後の回復をはかりたいときに昔の人がつくっていた。ルーツはよくわかっていない。一説によれば江戸時代に、ある人が偶然につくり方を発見したとかいわれているが、はっきりとしたことはわからない。ただ徳川家の大奥でつくられて将軍の健康づくりに利用していたとか、明治の元勲である人がその子だくさんを聞かれて”卵油じゃ”とこたえたという話がある。昭和の初期、有名な思想家の人が、その著述の中で取り上げていた。やはり、その人も自らの手でつくっていたのである。
 卵油のつくり方は、はっきりとしていて簡単。鶏の卵の黄身を、鉄鍋、フライパンのようなものに入れ、弱い火にかけて、ゆっくりと炒り上げていけば、やがて黒く焦げたような状態になって、煙と匂いが立ちのぼり、その中から卵油が抽出される。でどうして卵油があまりつくられることなくきたのか。それはつくるときに出る煙と匂いの多さによるものと考えられる。


血液の流れと健康と卵油

 病気とはいえないが、しかし不調感いっぱい、半健康、半病気、自分の体に自信が持てなくてイライラしている人、いつも体調に不満だらけ、文句ばっかり、暗い不機嫌な顔をしている。これでは誰もほめてはくれない。 一晩ぐっすり寝たはずなのにすっきりとした目覚めがこない、いつもなんとなく頭が重く感じられスッキリしない、肩こりや背中のこりに悩まされている、ふしぶしの動きがぎこちなくスムースに動かないことが多い、手や足の先が冷たく不快だ、いらついて何もする気がわいてこない。不平不満のオンパレード。いつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。このようなことに思い当たる方はいませんか。
 このような半健康状態の原因は、ちょっとした血のながれの悪さや鬱血から起きているかも知れません。手にしびれのようなものや痛み疼きを感じた時、自然に反対の手でそのしびれたところをさすったり、マッサージをするような仕草をする。それは、なにげなく行う血行を良くしようとする動作ではないだろうか。W手当Wをするは、傷などの手当という事ではあるが、不調なところに手を当ててさすり、温めて刺激をすることで血行を促し痛みや不快感を緩和することでもあるとされる。
 体の中を流れる血液は、体を維持するという生理作用の為に必要な物質や栄養分、新鮮な酸素等を必要とされる細胞に送り込む働きと、不要となった老廃物や炭酸ガスといったものを体外へと排出するための働きを行っている。こうして体は細胞の活性化や新陳代謝を行うことが出来るのである。これが順調に行われない時に体は悲鳴をあげる、これが痛みだったり、コリだったり、不調感であったりする。
  この血液循環であるが、若さがある時はあまり気にすることなく順調に行われる。しかし、加齢というか年を重ねれば、いろいろと問題が発生し血液循環にも支障の現れる事も出てくる。誰の上にも年に積み重ねは公平に行われる。これをいかにするかは、その人の考え方、気持ちの持ちようによっていろいろと変えられるのも事実。自分の体の事をしっかり考えた生活リズム、食事の摂り方、運動などである。もしあなたが少しでも老化を食い止める、若さを保ちたいと考えたのであるなら、血液循環、血のめぐりの事を常に頭の片隅に置いていたい。
  こんな時に目を向けてもいいのが“卵油”なのかも知れません。心臓の働きを良くするには卵油にまさるものはないと家庭に於ける実際的看護の秘訣を著した築田多吉翁も何度もその中に書いているように、心臓こそ血液循環の働きを促す要的存在だからです。大正年間に出された本に書かれたものはもう古いのではと考える方も多いと思いますが、真理はそんなに大きく変わるものではないのではないでしょうか。


卵油の一滴は生命の泉

 その存在を知られる事の少なかった卵油。その卵油を自らの手でつくる事で広く人々に知って欲しいと願い、それを実践する事にひたすら突き進んで今日に至ったのは野本方子をはじめとする野本家の面々である。つくり方を確立した野本方子、つくり方を教える全国行脚を行った野本二士夫、つくられたものを分けてくださいという人たちに広報的立場で活動した野本朋彦。この三人が手を組み、気持ちを合わせた結果が40年以上の長きに渡って卵油を日本伝承健康食として認めてもらう事になったのである。
 昭和59年1月野本二士夫は万能の霊薬・驚異の卵油健康法を潮文社リヴ文庫に上梓した。卵油の事を詳しく記した初めての本であった。この本のあとがきに野本二士夫はW卵油の本をだすことは、私にとっては長年の夢でした。私が今日あるのは、すべて卵油のおかげなのですから。一時、死を決意した私に生きる意欲を与えてくれたのも卵油なら、私を少しは人さまのお役に立てるような人間に育ててくれたのも卵油ですWそしてW最後に、私事にわたって恐縮ですが、人生に絶望していた私に手づくり卵油を飲ませ、励ましてくれた妻に深く感謝するものですWと書いた。
 たしかに、卵油の事を皆様に知って頂こうと野本一家が考えてから10年は経っていたのである。いかに信じていただけるか、認めていただけるかというものの難しさを実感させられる10年でもあった。
  このようにして始まった卵油手づくり教室が発展的解消ということでその幕を下ろしたのは平成の時代が始まってからである。
  今、日本全国で自らの手で卵油をつくり、それを販売している人がどのくらいいるか。健康食の中でこれほど多くの人が扱っているものは他にはないだろう。フライパンひとつあればそれでいいのである。良質の卵を手に入れることさえ出来ればそれでいいのである。つくり方は今でも公開している。現在のこの姿を野本二士夫と野本方子はWつくってみなはれ、ためしてみなはれWという言葉を発して確実に想像をしていた。

卵油のつくり方読本
  卵油の詳しいつくり方を知りたい場合は手づくり自然食友の会に申し込めば送ってくれる。
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         手づくり自然食友の会

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